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「母は強し」の本当の意味とは

「考えすぎ」から見えたこと
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いきなり結論。

母親は、ただ自然と強くなるのではなく、

強くならざるを得ないんだ。

そんなことに

気づいてしまった。

これが、正しい摂理なのかどうかはわからない。

しかしこれは、私が実際に体験して感じたことであるのは確かなこと。

その気付きについて解説していく。

※あくまでも個人的見解です。

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父性が芽生えるまでは、夫も子供

実際にお腹の中に赤ちゃんがいるときから、女性は母親になる。

いろんなホルモンバランスなんかも関係して、身体もメンタルも変化していく。

トツキトオカ。

お腹の中の赤ちゃんと過ごす間に、母親は母性を育んでいく。

その反面、父親となる夫はどうだろう。

妻がお腹を大きくしていても、お腹の赤ちゃんに声かけはすれど、父親としての実感は、体感することができない。

そして、来る日に夫からすれば突然赤ちゃんが出てきて、その瞬間、「お父さん」という烙印を押される感じなのだと思う。

だから、

「今日から貴方もパパね」

と周りに言われても、ピンと来ないのだ。

子供が産まれても、夫に父性が芽生えるまでは、父親としての自覚は無く、

心のどこかでは、我が子をライバルとさえ思っている節がある。

それまで夫中心だった妻が、子供中心になる。

夫は、それが少し気に入らないのだ。

「なんで俺が後回しやねん」

「疲れてるのに、なんで子供の相手せなあかんねん」

と、

心のどこかで思っている。

つまり夫は、本当に父性が備わるまでは、子供と同じような感覚なのである。

「俺の面倒を一番に見ろ!」

ってね。

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母が強くならざるを得ないきっかけとは

赤ちゃんが3歳くらいになってようやく、父性が芽生え始めるのだという。

言葉が話せるようになって、会話もある程度通じるようになってきてからである。

それまでの間は、夫にとっての育児は、育児ではなく

「新たに課せられた仕事」

のように感じるのかもしれない。

それでも夫は夫で、父親なんだから!と、頑張ってやっている。

ただ、夫にとってそれは、とても不自然な行為で、疲労感を伴うものでもある。

私の夫も、なんとか頑張ってパパをしようとするけれど、

結局無理してるわけだから、疲れてしまう。

私の夫の場合、もともとそんなに根気のあるタイプでもなく、体力もないので、外で働いて、帰ってきたらほんとは家でゴロゴロだらだらしていたいのだ。

それなのに、赤ちゃんのパパでいなければいけない重圧に、最近耐えられないでいるようだ。

きちんとパパをする夫も、中には存在する。

そういう人たちは、大概外で発散している。(と思う)

仕事が終わったら、まっすぐ家に帰ってきて、パパを演じることもせず、ダラダラごろごろと過ごすほうが良いのか

外でこっそり好きなことをする代わりに家では良いパパでいるほうが良いのか

それは不明である。

ともかく、どちらにせよ、

妻は、そんな夫のことを敏感に感じ取る。

家で何もかもを放棄する夫の場合は、ほぼワンオペのような生活をする。

その中でも文句を言わず、赤ちゃんと楽しく過ごす術を身に付けていく。

外で発散している夫の場合は、なかなか帰ってこなかったり、嘘をつかれていたりすることに寂しさを感じながらも、それに慣れ、自分で心の落ち着きどころを見つけていく。

そんなふうにして、子供が3歳になる頃には、その苦悩を乗り越え、自然に強く、たくましくなっていくのだ。

きっと、そんなふうな構図になっている。

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決して夫を責めるつもりはないのだが・・・

ここでは、夫のことを責めているわけではない。

父親になる、ということは、この過程を経るものなんだろう。

母親よりも、突如として子供と出会った父親が、自覚をもって父親になるのには時間がかかるのかもしれない。

母親になった妻は、強くならざるを得ない。

この結論に、反論できる人がいたら、教えて欲しい。

これに当てはまらないパパさんが居たら、教えて欲しい。

第一子から、妻と一緒に、手伝うとかではなく、親として子と寄り添って子育てをしている夫がいたら、見てみたいし、その人の話を聞いてみたい。

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