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【本】『「ガンになって良かった」と言いたい』との衝撃的な出会い

ただ言いたいこと
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2021年6月6日。

山口雄也さんという人が23歳で亡くなった。

私のスマホに突然飛び込んできたTwitterの通知。

フォローもしていないのに、なぜか入ってきた。

私は、その通知を何の気なしに開き、それから彼のブログに飛んだ。

山口雄也さんは、大学生のときに胚細胞腫瘍というガンにかかり、その後白血病を発症。

闘病中に書いていたブログが書籍化した。

本のタイトルは『「ガンになって良かった」と言いたい』だ。

ブログの最終更新の記事を読む。

そこで、ドツボにはまってしまった。

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寿命の長さについて考えても答えは出ない

彼は、文章を書くのが好きだったと言う。

ブログを読んでいても、本当に、何かの小説を読んでいるような表現力があった。

23歳にして、この文章力は、悪い言い方だが、違和感を感じさせるほどの上手さがあった。

きっと、彼に与えられた才能なのだろうと思う。

おかげで、感受性の強い私は、まるで自分事のように、その文章に引き込まれていった。

人間も、動物もすべての生き物には命があって、その命の寿命は、同じではない。

同じ人間でも、若くして亡くなる人もいれば、長寿を全うして逝く人もいる。

なぜ、こんなにも寿命が人によってバラバラなのか。

小さな子供のうちに亡くなってしまうのはなぜか。

23歳という若さで亡くなってしまうのはなぜなのか。

こんなことを考えても、答えは出ない。

一生かかっても出ない疑問を、私は彼のブログを読み終え、ぐるぐると頭の中で巡らせていた。

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大切な人を失うことの恐怖

私は、もしかしたらHSP(ハイリーセンシティブパーソン※超繊細敏感人間)かもしれない。

それは、誰かに診断されたわけではないけれど、たぶんそうだと思う。

だから、本来、このTwitterの投稿には深入りしてはいけなかったかもしれない。

若くして亡くなることの辛さ、無念さが、とんでもなく心に押し寄せていた。

まだ23歳。

これから社会に出て、辛い経験や楽しい経験や、たくさんの人、仕事との出会いが待っているはずだったのに。

「なぜ僕なんだろう」と、きっと思った時期があっただろう。

そして、本人だけでなく、彼のご両親の気持ちを自分と重ね合わせてしまった。

私の娘はまだ赤ちゃん。

これからの素晴らしい人生が幕開けしたばかり。

この子は、長生きして、楽しく元気に生きて欲しい。

親ならきっとみんなそう思う。

親より先に逝かないで、と。

「親より長生きすることが、一番の親孝行」

そんな言葉を聞いたことがある。

では、病気や不慮の事故・事件でなくなってしまった場合は、親不孝となるのだろうか。

病気や不慮の事故が起こる可能性もゼロではなく、「もしそうなったら・・・」と考えたら、気が狂いそうになった。

きっと受け入れられない。私も一緒に行くと思う。この子のいない世界など、考えられない。

けれど、悪いことを想像すると、「引き寄せの法則」というのが発動して、本当にそうなってしまうと言う。

私は、それを思いだし、良い方向に考えるのではなく、

ほんとになっちゃうの???と、さらに不安に陥ってしまったのだ。

実現するわけない

大丈夫。

この子は、絶対に、大丈夫。

そう言い聞かせながらも、私は、

検索ボックスに

「なぜ寿命があるのか」と入力していた。

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どうしても受け入れられないこと

寿命というものは、それぞれに長さが決まっているが、

その寿命がいつなのかは、誰も知らない。

決まっているのに、どうして分からないんだろう?

いくつか調べると、

寿命は、現世でやるべきことが済むと終わっていくのだそうだ。

その人がその人生でやることを完全に達成したら、寿命が来るようになっていると。

だから、若くして死んでも、それは、その人がもう目的を達成したから、と受け入れる。と。

そんなこと、

受け入れられるだろうか?

人の死は、必ずやってくるものだから、必ず受け入れざるを得ないことなのは分かっている。

それでも、親より先に消えていく命を、遺された者は、受け入れることが、果たしてできるのだろうか。

私はその未来を生きたくない。と思った。

でも世の中には、そんな状況でも、なんとか日々を生きて、暮らしている人がいる。

受け入れたのか、受け入れられないまま生きているのか、その人の寿命が尽きるまで、その人は生き続ける。

きっと、目的を達成するために生きているのなら、その人の目的が、他にまだあるのかもしれない。

医療事故で子供を亡くした親が、事故防止のために開発した医療器具が、現代の医療のスタンダードになっているという記事も読んだ。

そうやって、人は何かしらを成し遂げて死んでいくのかもしれないけれど、

だから自分も、大切な人の寿命を受け入れる、ということが、どうしてもできなかった。

まだ起きていないことを考えるのは時間の無駄

私は、頭がぐるぐるしてきて、夜、眠らなければまたしんどくなるのに、眠れないでいた。

夫がたまたま私の様子を覗き込み、スマホで何を見てるのかと問う。

私が説明すると、

「今すぐスマホやめなさい。履歴も消して」

とピシャリと言われた。

不安障害である私の性質を知っている夫は、

そんなのにスマホ使うなら、物理的にスマホ持たないほうがいいぞ、と言った。

情報は、有益である反面、人を殺すこともできる凶器だ。

それをコントロールできないなら、情報を手に入れるべきではない。

夫の言葉は、厳しいが、私を不思議と安心させてくれた。

どんどん不安という妄想が膨らんで、迷子のようになった私を、現実の、今の世界へ引き戻してくれたのだ。

私は、しばしばこのようなことが起る。

まだ何も起きていないのに、そして、他人事なのに、見聞きして、猛烈に不安になる。

その不安は、とめどなく、自分では止めるのは、とても大変だ。

特に、子供ができてからそうだ。

二度の初期流産を経ての妊娠中は、その最たるものだった。

今回もそうだった。

夫は、「その時間、勿体なかったね」と言った。

まだ起きてもいないこと、答えのないことをぐるぐる悩んで、

「君は暇なの?」

と言われた。

命について、考えることは悪いことではない。

むしろ、大切な命だと思えることは、素晴らしいことだと思う。

しかし、それがマイナスの方向に向いてはいけない。とても、勿体ない。

授かった命、それは自分も、自分以外も、とても奇跡的な命。

その命に感謝し、今ある幸せを感じることが大切なのだ。

そして、情報はあくまでも、ひとつの情報でしかない。

大切な事柄としてその情報を取り入れることと、自分事に置き換えるのは別だ。

「心が暇」だと、余計なことを考えてしまう脳ミソ

私は今、仕事を辞めて専業主婦をしている。

実際問題、暇

ではない。

朝起きて、夫の朝食と昼のお弁当作り、娘の離乳食用意、掃除、洗濯、離乳食食べさせ、それが済んだら、洗い物。

その後、娘と少し戯れて、娘が朝寝を少ししたら買い物。

帰って二人で昼食をとり、娘が昼寝をしたらブログを書いたり、友人と連絡とったり、雑用をする。

昼寝が終われば、夕食の準備、風呂掃除、と、仕事してるときよりも忙しい気がする。

なのに、夫に「暇やねん」と言われた。

何が暇?

「・・・心が。」

心が暇、というのは、どういうことか。

ずっと辞めたいと思っていた仕事をやっと辞められて、そのことで悶々することがなくなった。

仕事のストレスやプレッシャーのない生活。

かわいい我が子とずっと過ごせる幸せ。

ハッピーな、ポジティブなはずなのに、私の脳は、暇になった!と、不安を探すようだ。

なんて恐ろしい脳ミソなんだろう。

それでも自己否定してはいけない

そんな私の脳ミソ。

今までは、完全に否定し、自己嫌悪していた。

でももうそれは止めようと思う。

次のステップへ上がるために。

このどこからかポンポンと簡単に不安を見つけてくるところ。

ある意味、才能じゃないかと思う。

普通気付かんやろ!!というところまで気になってしまうこの感性、良く言えばアッパレだ。

不安を見つける才能を持った自分を、ちゃんと評価しようと思う。

そして、その不安は、幻想・妄想であるということを、しっかりと自分で自分に教えてあげよう。

「私の脳ミソさん、今、暇だったから、また“不安見つけ”をしてるのね」

と、微笑ましく受け止め、

「でもね、その不安は、非現実だし、今、起きてないから安心してね」とその度に伝えよう。

それから、この才能、もっと違うことに活かそう。

そして、何より、

「今、ここにある」こと。

それを見つめ、感じて生きていこう。

朝の時間、忙しくてバタバタして、頭の中で段取りしながら作業していると、不安は起きない。

そう、物理的に忙しくしていたら、不安にはならないのだ。

しかし私は、時間に追われるのが嫌いで、なんでも余裕を持って過ごしたいタイプだ。

ではどうすれば良いか?

脳ミソを他のことで忙しくするのが良いのかもしれない。

不安の妄想を、幸せな妄想に変えてみる。嬉しい妄想で頭を埋め尽くして、幸せを考えるのに忙しくさせてみてはどうかな。

それは、何度も何度も訓練しなければ身に付かないだろう。

不安が起きてしまったら、必ずその不安は、今あるものではないと、否定しよう。

大丈夫。

わたしたちは、護られてる。

幸せな未来が、必ず待ってる。

そのために、今この瞬間瞬間を大事に大事に生きるのだ。

そういい聞かせよう

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