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Mr.Childrenが伝えてくれる大切な「つながり」

Mr.Children
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「つながってる」

と聞くと、皆さんは何をイメージしますか?

人と人がつながってる

心がつながってる

世界とつながってる

どれも大切なことですよね。

私たちは、必ず誰かと、何かと繋がって生きているんですもの。

最近、

Mr.Childrenの曲の歌詞に、「つながってる」ってワードが出てくる曲が結構あるな!と発見したのです。

今回はそんなフレーズについて独断と偏見を持ちつつ、するどく(?)分析していきますw

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海にて、心は裸になりたがる

まずは、

2021年発売アルバム『重力と呼吸』から

「海にて、心は裸になりたがる」

全部把握したつもりでいても

実は何もわかっていやしないよ

今心は裸になりたがっているよ

消極的なあなたにも

上から目線のあなたにも

ほら世界は確かに

つながっているよ

作詞作曲:KAZUTOSHI SAKURAI 「海にて、心は裸になりたがる」

歌詞の解釈

「海にて、心は裸になりたがる」の曲全体の歌詞から、

どんな自分でも受け入れられているから、ありのままで生きていいんだよ

というメッセージを筆者は受け取りました。

この「ほら世界は確かにつながっているよ」の部分は、

結局、自分自身のことも、他人のことも、分かっているようでわかっていない。

それでも心の底では、ありのままの自分で生きたがっている

誰しもがそういう想いを抱えている

皆どんな人であれ、根っこの部分で、「ありのままで生きたい」という同じような気持ちを、感覚を抱いてる。

そういう意味で、「つながっている」と表現したのではないかな、と分析します。

こう分析すると、ある曲を彷彿とさせるのですが、その曲とは…

「名もなき詩」(1996年発売シングル曲。フジテレビ系月9ドラマ「ピュア」の主題歌で大ヒット)

あるがままの心で

生きようと願うから人はまた傷ついて行く

しらぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるなら

僕だってそう

誰だってそうなんだ

作詞作曲:KAZUTOSHI SAKURAI 「名もなき詩」

これも、

みんな、ほんとはありのままで生きたいって思ってるよ、って歌っています。

実現するかどうかは別としても、どんな人も、ありのままの心で、心を裸にして生きたいと思っている。

同じ想いを持って、つながってる。

そんな捉え方をしました。

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Worlds end

ライブでは頻出の楽曲。

2005年発売アルバム「I♥️U」からの1曲。

LIVEではとっても盛り上がるし、メッセージ性も強いです。

何にも縛られちゃいない

だけど僕ら つながってる

どんな世界への果てへも

この確かな思いを連れて

作詞作曲:KAZUTOSHI SAKURAI 「Worlds end」

歌詞の解釈

この詩も、全体的に深い詩だと筆者は感じています。

すべての曲に関して言えることですが、聴く人の受け取り方でいくつもの解釈ができます。

ただ一つ、共通しているのは、これらの歌詞に勇気や元気などの前に進めそうなパワーが貰えるということ。

それと同じように、この曲では

「僕らは何にも縛られていない、自由に飛び廻れる」

ということを投げかけています。

今現在、つまらないなと思っている人も、明日を信じれば如何様にも飛べる。

どんな者にもなれるのです。

そして、今やっていることに無駄なことは何一つなく、誰かの足元を照らしている。

誰かのためになっています。

それぞれが、それぞれの場所で、それぞれのことをしていても、

私たちはつながっているから、互いに助けられ、助けて生きている、

そんなメッセージを受け取りました。

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タガタメ

こちらもまた2005年発売アルバム『I♥️U』より「タガタメ」

この曲も実に重みのある楽曲ですね。

ミスチルファンの中で好きな人も多いのではないでしょうか。

この曲の2番の歌詞より

左の人 右の人

ふとした場所できっとつながってるから

片一方を裁けないよな

僕らは連鎖する生き物だよ

作詞作曲:KAZUTOSHI SAKURAI 「タガタメ」

歌詞の解釈

「左の人 右の人」で、さまざまな解釈があるようですが、筆者は、広く意味を捉えました。

この世界中、街中や職場や学校等、すれ違う人、たまたま隣にいる人、

たとえばミスチルLIVEなんかで、隣に座ってる人等々

まったくの赤の他人でも、もしかしたらどこかで関係があるかもしれないんです。

たまたますれ違った人が相反する考え方の人だったとしても、自分が売ってるお菓子を買ってくれた人かもしれない。

そして、この歌に出てくる「加害者」と「被害者」。

これもまた、隣り合わせにいる人と同じでどこかでつながっていたかもしれない。

そう思うと、簡単には片一方を裁くことはできない。

そう感じました。

この歌は戦争にも強く訴えかける曲でもあります。

戦争も犯罪も、誰しもが持っている感情から、少し逸脱してしまって起きることなのかもしれません。

だから、自分自身にも、そういう種は持っているのかも。

「僕らは連鎖する生き物」とありますが、「連鎖」とは互いにつながっていることを意味します。

相反していても、どこかにつながっている、共通している感覚、感情を持っているのが人間だよと伝えているように感じます。

そして、だから、この怒りや苦しみに満ちた世界は、どうすれば良いのか?という疑問に、

それを救えるのは「愛すること」以外には無いのだと訴えています。

(※あくまで筆者個人の見解です)

星になれたら

だいぶ昔の楽曲。

1992年発売アルバム『KIND OF LOVE』から「星になれたら」

若さと希望に溢れたフレッシュな曲ですが、ここにも「つながってる」ワードが。

何かにつまずいたときは

空に手をかざしてみよう

この風はきっと どこかで君と

つながってるから

作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿・寺岡呼人「星になれたら」

歌詞の解釈

この歌詞で、どこかでつながっているのは、

恋人なのか家族なのか、友人なのか。

それはそれぞれの解釈に任せるとして。

広い世界へ飛び出していくとき、今までの場所から飛び立つとき、

何かに失敗して自信をなくしてしまったとき、不安になって心細くなるときもあります。

そんなときでも、今この瞬間に感じてるこの風を

愛するあの人も感じてると思えば、その心細さも少し消えていくような気がします。

そんな捉え方で聴いていて、筆者自身が若かったその昔、恋人と会えないとき、この曲を聴きながら空に手をかざしていた記憶があります。

the song of praise

こちらはコロナ禍になってからの曲。

2020年発売アルバム『SOUND TRACKS』より「the song of praise」

朝の情報番組『ZIP』(日テレ)のテーマソングとなった曲です。

Ah 誰もひとりじゃない

きっとどこかでつながって

この世界を動かす小さな歯車

作詞作曲:KAZUTOSHI SAKURAI 「the song of praise」

歌詞の解釈

世界を作り上げているのは、人間一人一人のやっていることがすべて絡み合ってつながって出来ている

というイメージの歌詞は、桜井さんの歌詞に良く出てくるように思います。

たとえば

「くるみ」

どこかでかけ違えてきて

今一つ余ったボタン

同じようにして誰かがかけ違えたボタンホールに出会うことで意味ができたならいい

中略

そうして歯車は回る

この必要以上の負担に

ギシギシ鈍い音をたてながら

作詞作曲:KAZUTOSHI SAKURAI「くるみ」

そして、

「彩り」

なんてことの無い作業が

まわりまわりまわって

今僕の目の前の人の

笑い顔を作っていく

作詞作曲:KAZUTOSHI SAKURAI「彩り」

そして先に紹介した「Worlds end」もそうですが、

私たちはたった一人で生きているわけではなく、何かしらどこかで誰かに支えられ助けられている。

そしてその反対もそう。自分自身もそうであるというメッセージがあるように捉えられます。

他にもいくつかあると思いますが、これらは、仏教の教えの要素を感じられると個人的には思います。

すべてのものは繋がっていて、それによって私たちが存在している

それを

諸法無我(しょほうむが)

というようです。

※筆者は仏教には詳しくないので、深くは語ることができません。

桜井さんは、50歳を迎えた頃のインタビューで仏像を観るのが好きだと話していました。

もしかしたら、仏教のエッセンスも桜井さんの人生には取り込まれているのかもしれませんね。

私たちがつながっていることを知る

今回、Mr.Childrenの曲から、「つながって」というフレーズを取り上げてみました。

深く歌詞と向き合うに連れて、筆者自身が改めて元気を貰えたような気がします。

この記事を読んで、一人でも多くの人が心豊かに、穏やかになってもらえたら、そんなに嬉しいことはありません!

ではまた!

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