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対人関係で精神的に自立するためにするたった1つのこと

「考えすぎ」から見えたこと
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精神的な自立とは

他人に、過度に依存しないでいられることです。

でも、なかなかそれが難しい。

精神的に自立できれば、

自分の状態が、他人の状態によって左右されることはなくなります。

自分のご機嫌は、自分で取ることができます。

では、他人に過度に依存してしまわないためにはどうするべきか。

そのことについてお話ししていきます。

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他人に期待しないことが自立の第一歩

他人に過度に依存しないためには、ずばり

他人に期待しないこと

です。

相手に依存心があるから、相手に期待をしてしまうのです。

依存を止める=相手に期待しない

と言っても過言ではないでしょう。

「相手ならきっとこうしてくれる」

そんな期待を抱くのは、自分の望みを相手に委ねるという行為なのです。

望みどおりにいけば良いものの、それが外れたとき、ショックを受け、心の調子が崩れてしまうのです。

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「期待する相手」には種類がある

自分という人間の周りには、さまざまな立場の他人が存在しています。

関係性が薄い順に挙げると、

  1. 仕事上の関係性(上司・部下・同僚)
  2. 親戚
  3. 友人
  4. 恋人・夫婦・恋愛で繋がった関係
  5. 家族(兄弟・親子)

例外はあるかもしれませんが、この順番で自分との関係性は深いものになります。

ちなみに、自分と一番関係の深い人間は「自分」です。

が、ここでは他人との関係性についてなので割愛。

ひとつ言っておくと、

期待して良いのは自分だけです。

関係の薄い仕事上の人間関係

まずは、最も関係性が薄い他人の部類から。

仕事上の人間関係は、そこまで深みのあるものではありません。

これに追加して、そこまで親しくない友人の友人とか単なる顔見知りもこの部類に入ります。

そもそも関係性が薄いと、期待もそこまで大きくはなりません。

しかし、

「上司だから、

部下だから、

知り合いだから、

○○してくれて当然」

という期待を持つことはあります。

ここの関係性でクローズアップするのは、

社交辞令

この人間関係は、常に一緒にいるわけではない、その場だけの表面的な関係です。

もちろん、中にはとても尊敬している上司や、信頼し合っている同僚や部下もいるかもしれませんが。

それについては、もう一段階深い関係性の場面で考えいくことにして

ここでは、あくまで関係性の薄い他人の場合で見ていきます。

その場合は

ほぼすべてが社交辞令

と思った方がいい。

人を信じやすく、かつ依存しやすい人は、この社交辞令を理解することが難しいので苦しむことが多いです。

「今度ゴハン行きましょ」

とか

「また仕事でご一緒できるのを楽しみにしています」

とか、

筆者自身も仕事してるときはバンバンに使ってましたが、社交辞令を他人から言われると、その真意を見分けることができなかったです。

社交辞令を言う他人に対し、

「どうしてそんな社交辞令ばっかり言うんだろう」

と、悲しみや怒りの感情を持ってしまうと苦しくなるのです。

本来、社交辞令は言うことで、相手の気を悪くしないように、円滑に関係性が保てるようにしているものだと考えておくと良いかもしれません。

「あなたとなんかもう二度と一緒に仕事しなくていいわ。さよなら」

などと面と向かって言ったら相手を傷付けてしまいます。

ぼんやりとした社交辞令で、距離感を保つ処世術。相手への気遣い。

そう考えたら、腹も立たない。

関係の薄い相手に、本音を言ってもらうメリットはあまりありません。

社交辞令が前提と考えたら、いちいち相手の言動に期待せずに済むし、

相手が関係を円滑にするためにやってくれてることだと常に受け止められたら、

結構イイ奴じゃんとまで思えるかもしれない。

実際に相手がどう思っているかなど考えなくていい。

自分がそう思っていれば、それでイイのです。

わりと関係性の仕事上の仲間

前項に比べると、より信頼・尊敬している仕事仲間や友人関係についても、他人は他人であるという意識を持ったほうが良いです。

ドライな考え方かもしれませんが、自と他を区別することはどんな関係にも必要なのです。

自分は自分。他人とは一心同体にはなれない。

親しくても、目指すところが一緒でも、価値観や考え方はそれぞれに違うのです。

これを念頭に置いて付き合うことをおすすめします。

この関係性では、期待ではなく、

信じる

を大切に。

そして、信じたその相手の幸せを願うのです。

たとえば、何かしらのきっかけで、尊敬・信頼できる仲になった他人が、

理解しがたいような裏切りの行動を取ったとしても、

最後まで相手を信じる。

例え離れて疎遠になってしまっても、

相手の幸せだけを願う。

もちろん、悲しみはあるが、とことん悲しんだあとでも良いから、この2つをするのです。

そうすれば、

縁のある人とは

必ずまた繋がれる。

これは、経験上間違いないです。

恋人・夫婦関係

この段階にくると、期待値や依存度は急激に上昇します。

もちろんはじめから自立した同士の関係だ、という恋人・夫婦も存在するでしょう。

それはそれで素晴らしい。そのままで良いと思います。

でも、そうはいかない恋人・夫婦がたくさんいます。

かくいう筆者もそうでした。

とくに、毎日一緒にいる夫婦となると、

「なんでこんなこともしてくれないんだろう?」

などと考えてしまうことがしばしば。

腹が立って、相手に直接言うと、言うことを聞いてくれるどころか、大きな反発にあう。

これは、最近ある動画で知ったのですが、距離が近すぎることに原因があるようです。

恋人でも夫婦でも、他人は他人。ある程度の距離感は必要だということ。

近すぎると、すべて本音を言ってしまうようになり、相手への気遣いさえもなくなってしまいがちです。

とはいえ、相手を好きと想えば想うほど、

どうして大切にしてくれないの?

という気持ちがふくらみ、こじれてきてしまいます。

関係性が深ければ深いほど、距離感が取りづらいです。

自他との区別もつきにくく、感情のコントロールもうまくいかない。

そこで、有効な方法は、

とことん嫌になるまで相手のことを考えること

です。

相手のことを考え、悩み、ときには相手に想いを伝えてみる。

うまくいかなければ、また悩む。

これをとことん繰り返すのです。

逆行するかのような行動で、不毛な時間と感じるかもしれません。

それでも、考えに考えまくった果てに、

「あ、もう、ええかな」

という諦め境地のようなものがやってきます。

「考え尽くした」という感覚に近いかな。

相手について悩みに悩みまくるのは、好きな人、愛する人だからこそできることです。

相手のことをとことん考えられるということは、それほどまでに愛している存在だということ。

相手を想い、相手とどうすれば良い関係でいられるか、

悩み、考え抜く。答えがない悩みの果てに、悟りのような境地が待っているのです。

考える必要もないことだった、という答えは、考え尽くした先にあるものなのです。

それにたどり着くと、たちまち楽になります。

相手を変えることはできない

という、言葉では理解しているけどなかなかできなかったことが、ストンと腑に落ちる瞬間が来ます。

結局は、恋人も夫婦も他人ですから。

この境地にたどり着くと、人によっては

相手のことが好きではなくなるケースがあります。

それは、

相手への気持ちが、もともと単なる執着でしかなかったからでしょう。

本当の愛ではなかったんです。

そうなったらさっさと別れたほうがいいと思います。

反対に、その境地に行っても相手を好きな気持ちが続いているなら、きっとずっと一緒に居られらはず。

とにかく、その悩みの果てに達すれば、相手の言動はさほど気にならなくなります。

少々のことでは腹が立たなくなります。

親子関係

そもそも、筆者自身は、あまり親に期待したことがありません。

期待した記憶がないのです。

ちなみに一人っ子なので兄弟はいません。

だからこそ、他人に過剰に期待してしまっていたのかもしれません。

今は娘がいるけど、これから先、私自身が娘に期待し、依存してしまうのは良くないと思っています。

それでは毒親になってしまう。

娘のことは、大切で大切でこの上なくかわいいけど、娘もまた、私とは違った個体の人間なのです。

血は繋がっているけど、娘は私ではない。

彼女についても、大切な人だから、とことん考えていくと思いますが、

我が子については、

ただ、元気で幸せに生きていてくれさえすればそれでいいのです。

子供は子供の人生を歩む。

子供の人生の中では、母親の私は脇役です。

子供の健康や安心、安全を守ることに尽力し、愛を注ぐのみ。

そういう親子関係が自立した関係だと言えます。

他人より格段に関係は深いのが血縁関係ですが、これもまた、違う生き物であることを忘れてはいけません。

ただ、大切にする度合いは他人に比べたら非常に大きいものだと個人的には感じています。

本能として守るべきものとインストールされているのが親子だと思います。

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「期待しなくなればうまくいく」という期待も持たない

いかがだったでしょうか。

まとめると

  • そんなに親しくない相手の場合は、「すべて社交辞令」を前提とする
  • 親しい人間関係の場合は、相手を信じること、相手の幸せをただ願うこと。
  • 恋人・夫婦の場合は、とことん相手について考え、悩みまくり、悟りの境地へ達する。
  • 親子もまた自分とは違う人間であることを理解する

結局、期待していいのは、自分自身だけで、他人に期待はしない方がいいです。

100%期待どおり答えてくれる他人はいないから。

とはいえ、

「こうなら良いな」と思ってしまうことは必ずあると思います。

そのときは、今回挙げたような考え方を実践してみることをお薦めします。

そして、気を付けることは、

この考え方をしたことによって、物事が改善するという期待を持つことも、しないようにすることです。

つまり、期待しなければうまくいくんじゃないか?ってことにも期待しないことが重要です。

こうやって、他人への期待をしなくなれば、自ずと依存心が減り、精神的にも自立できます。

自立は、孤立ではありません。

他人と適度に共存するための重要なメソッドなのです。

このお話が少しでも心豊かに生きるヒントになれば幸いです☺️

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