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【幸せとは?】目の前にある幸せに気付くまでの道程

「考えすぎ」から見えたこと
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幸せになる、って、案外単純なことだったりすると思う今日この頃。

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幸せの定義は人それぞれ。

ここで個人的な見解で述べるのなら、

幸せとは、

日々生きてる中で感じられる喜びや楽しみや感動、リラックス等、いわゆるプラスの感情を味わっている瞬間ではないかと思う。

人生の全体的な幸せは、その幸せと思える瞬間をどれだけ感じられたか?で死ぬときぐらいに分かるんじゃないかって思う。

皆さんにとっての幸せな瞬間とは、どんなときだろう?

誰かの役に立ったとき?


ゲームやスポーツに熱中するとき?


美味しいものを食べまくったとき?


かわいい我が子とふれあってる時?


お一人様旅行を満喫してるとき?

それぞれに多種多様あるだろうけど、その幸せを感じていられるのって、

普通に、息をしていて、
前の晩はぐっすり眠れて

今日も生きていられるからこそ感じられるもの。

つまり

生きてることそのものが

実は幸せであるということだ。

ただ、

大抵の人は、そのことに気付かない。

思いどおりにいかないことばかりだと、自らが不幸だと思い込み、生きることを諦める方がましだとさえ思い詰めることがある。

かくいう筆者も、かつてはそうだった。

今回は、筆者の実体験もふまえて、今目の前にある幸せに気付く道程について語りたいと思う。

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「自分は不幸だ」という思い込みがある?

筆者の実体験。

自らが不幸だと思い込んでいる時期の心境について少し語る。

ただ平穏な日々を手に入れたいだけなのに…

筆者が10年ほど前に常々思っていたワード。

「ただ普通に平穏な幸せが欲しいだけなのに」

そう思って、日々泣いてた。

仕事のこと、

家族のこと、

恋人のこと。

何もうまくいかない。寂しい。苦しい。

そしてその苛立ちの矛先は、自分自身に向いていた。

自分は罰せられるべき人間であり、幸せになってはいけないのかもしれないとさえ思えた。

幸せになりたいのに、と思いながら、自ら幸せになってはいけないと罰する。

矛盾した正反対の心が10年前の筆者の中にはあったのだ。

なぜ幸せになってはいけないと考えてしまうのか?

整理すると、

「幸せになりたい」と思っているのは、本能的な部分の感情で、

「幸せになってはいけない」というのは、自分に自信がなく、自分はダメだという思い込みから来る抑圧のようなもの。

なぜその抑圧が起こるのか?

それは、

簡単に言ってしまうと

単なる思い込み。

ただそれに気付くのは、だいぶ先のことなる。

思い込みというのは怖いもので、

「洗脳」に近いものがある。

自らが自らに洗脳をかけ、簡単には解けない。

「私は不幸な人間である」と、環境や家族、他人、情報等から、刷り込まれて、自分自身でもそうに違いないと思い込む。

そうなると、むしろ幸せになることのほうが怖くなったりするのだ。

また、不幸であることを盾に、自らの弱さを主張して注目を集められるという利点さえ見付けてしまう。

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不幸に守られた人生の末路

不幸だと言っている人の中には、不幸に守ってもらっている人がいる。

私もその1人だった。

もちろん、全ての人がそうであると断言はできないけれど、少なからずいるんじゃないかと思う。

つまり、

「私は不幸です」

と言うことで、前項でも述べたように不幸なことを盾にすることができるのだ。

「私は家庭環境に恵まれてなくて…」

とか

「金銭的に苦しくって」等々

そういう不幸自慢をすることによって、周りからの同情を買い、特別扱いをしてもらうことで自らの存在価値を見いだしたりするのだ。

この手の不幸な人は、なかなか不幸から抜け出せない。

だって、自分から不幸を選んでいるのだもの。

筆者も、精神薄弱であることを強調し、心配な弱い存在としてのヒエラルキーを確立していた。

しかしそれは、付け焼き刃の守備にしかならない。

本当の意味で、自分を守ることはできなかったのだ。

自分の意思で判断しなければならない時、

他人の助けではどうしようもならない時、

不幸の盾は、弱く脆いので役にたたない。

他人の同情や心配によって守られているからだ。

そしてそんな不幸自慢者は、さらに恵まれないような道に追い詰められる。

そこは、どうしようもなく孤独で、寂しい地の底に落ちたような気持ちになると筆者は感じている。

不幸を盾にしても、その先に、何も生まれない

過去の苦悩や未来への不安と、今の幸か不幸かは別物

育った環境がどうとか、

幼少期に親がどうだったとか、

過去の苦しみは、少なからずその後の人格形成に影響はあるだろう。

ただ、本当に幸せな人生を送りたいなら、それは単なる過去の出来事として、今現在とは切り離すのが良いのではないだろうか。

今は今でしかない。

僕や私を苦しめた人物は、目の前に居ない。または一緒に暮らしては居ないかもしれない。

一緒に居たとしても、今の自分は過去のままの自分ではない。

大好きなアーティストの音楽を聴ける。

スマホを使って好きな人にLINEを送れる。

温かいお茶が美味しい。

その今は、過去に関係なく幸せな瞬間なはず。

そして、未来への不安も持つのは当然だが、大好きなみたらし団子を頬張ってる今が幸せな瞬間であることには違いない。

未来への不安で、今を不幸にしてしまうのはもったいない。

まとめ~愛すべきMr.Childrenの歌と共に

筆者の愛するMr.Childrenの曲の歌詞にも「幸せ」についてのフレーズは良く出てくる。

(今度記事で特集しよう※覚書)

幸せなんか そこらじゅう いっぱい落ちてるから

欲張らずに拾っていこう

作詞作曲:桜井和寿 「ひびき」

幸せって、ほんと、良くみたらいーっぱい転がってるものなんだって気付いた。

あとは、それを幸せとして捉えられるかどうか。

ほんとはたくさんある幸せに、筆者もなかなか気付けなかった。

不幸と言うなら、まさにその気付けないことが不幸なんだねーと思った。

嫌な出来事がたくさんあるから不幸というより、今ある幸せに気付けないことが不幸なんだ。

ほら、今夜も、くだらない番組眺めて、ハイボールとつまみでダラダラしよう。

それって最上級の幸せじゃないか。

そしてそんな日々に、

いつか心から感謝できるようになりたいな。

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