食べることが大好きで栄養士になった。
「食」は、人間、生き物にとってなくてはならないもの。
そんな根元的なことに携わる職業に就くことは、素晴らしいことだと考えていた。
でもどうやら、私は人一倍、食に対して偏った思考を持った人間だったみたいだ。
そして、ボディイメージもむちゃくちゃのようだ。
そんな自分に、気付いていたけど、真正面から見つめることを今まで逃げてきたように思う。
今回は、自分に向き合う意味でも、食とボディイメージについて語りたいと思う。
今、ダイエットや摂食障害で悩んでいる人の参考に、少しでもなれば幸いである。
偏ったボディイメージのはじまり
ボディイメージの認知の歪みというのが、摂食障害を引き起こすらしい。
摂食障害といっても、さまざまな種類、そして重症度がある。
私自身は、摂食障害で精神科にかかったことはなかったが、今思えば、立派な摂食障害だったと思う。
痩せたいと思ったのは、中学2年生のころ。
人生最高体重を当時叩き出し、思春期も相まって自分自身の見た目は最悪なものに思えた。
鏡に向かって、自分自身に「ブス、デブ」と言い続ける日々だった。
実に暗い。暗い女の子だったな、と思う。
焦りを感じ、そのときからがむしゃらにダイエットに励んだ。
給食のごはんを半分以上残し、
夕食は野菜のみ。
当時やってた部活の後、ランニングをして、そのあと暖房をガンガンきかせた部屋でウインドブレーカーを着て、身体を激しく動かして汗を流していた。
おやつはノンカロリーキャンディと水。
おかげで、1年も経たずに10キロ近くの減量に成功した。
中3になり、その痩せた私の人間関係がガラリと変わった。
男子から告白されるようになったり、今まで無縁だったキラキラ女子から仲良くしてもらえたりした。
そのとき思ったのだ。
痩せてると良いことばかりだ!
痩せてると人生が変わる!イケてる女の子になれる!
と。
そこから、私は「痩せてなければいけない」という観念に囚われた。
これが偏ったボディイメージを持ったはじまりだった。
しかし、父親から「やせすぎて気持ち悪いから太りなさい」と言われた。
自分自身の身体は栄養を求めていたようで、少し食べるようになったら、食欲が爆発してしまった。
そこから過食に転ずる。
体重はいっきに戻っていった。
そして、戻った体重を再び減らすべく、また同じようなダイエットを繰り返していた。
当時の両親は、どんな気持ちだったんだろうと思う。
社会人で痩せ願望の再来
思春期には、痩せ願望が強くなることはよくあることなのかもしれない。
かくいう私も、高校、大学時代はかなり弾けて楽しい日々を送った。
その期間は、そこまで痩せに執着することはなかったように思う。
高校時代は、中学の延長で部活の後のランニング等は欠かせなかったが、部活自体がハードだったのでそんなに太らなかった記憶がある。
しかし、大学に行って田舎を離れ、引き続き運動部には所属したものの、一人暮らしの食生活と頻繁な飲み会にあけくれて体重は元通りになっていた。
就職活動を機に、部活を引退するため、運動をしなくなることが気になって再びダイエットを決行。
半身浴と、就職活動中の移動を出来る限り自転車にした。
自転車で1時間ほどかけて面接先の最寄駅まで行くようにしていた。
食べるのは好きで、当時、半同棲状態だった彼氏もよく食べてプクプクしていた。
だから、その分運動で消費していた。
就職が決まり、社会人となってもそんな生活は続いていた。
夕食にがっつり食べる&お酒を飲むために、朝食と昼食をほんの少ししか食べなくなっていた。
しかも、プリンやパウンドケーキ1切れなどお菓子を食べていた。
職場は昼食付きだったので、だいぶ減らして盛り付けをし、ごはんはラップに包んで持ち帰り捨てていた。
仕事が終わって帰宅したら、まず体重を計って半身浴を出来る限りする。
500gから1kg減ったらOKにして夕食をとっていた。
土日は基本的には彼氏の家で過ごした。
その日も、午後から夕方まで3時間ほど彼氏の風呂場で半身浴で汗を流し、そのあとに彼氏と飲みに行った。
体重は最高で42キロ台まで行ったと思う。(身長164センチ)
気付かないうちに摂食障害だった
身長164センチ 体重42~43キロ
BMIは15台
食事も減らし、夕食のみドカ食いをする。
食べた後は過度の運動や発汗で体重を減らす。
お風呂のときはサウナ状態にして汗をかき、必ず1キロ以上減らないとお風呂を出なかった。
痩せることと夜食べることだけに集中した社会人生活が数年続いた。
どんどん痩せる度に、当時の私自身は真剣に喜んでいた。
今こうやって書いていると、
あぁ異常だな
と分かる。
たぶん、摂食障害だったと思う。
拒食なのか過食なのかは良く分からなかったけど。
BMIが標準になった今現在でも体重に囚われている自分は変わらない。
「体重が少ないこと=幸せ」という勘違い
健康と痩せていることは違うという、当たり前のことを、当時の私は分かっていなかった。
けれども、当時の私は生理が止まったわけでもなく、身体の不調は一切感じていなかった。
むしろ、痩せた日のほうが動ける。
体重が軽いと元気で明るくいられる!
すでにそれが間違いだったが、気付きもしなかった。
そして、好きな異性からも痩せてる自分は愛されていると感じていた。
そこからしばらく体重管理に強迫的になった。
体重が少ないことこそが、その日の前向きな気分に繋がり、体重が思い日不機嫌で暗い日になった。
今現在でも、その呪いは溶けない。
現在、産後1年半強で産前の3キロ増加となっている。
この体重を見て、強烈な焦燥感を感じている。
囚われている。
でも今は、かろうじて普通の食生活を送っている。
普通というか普通よりむしろ食べているぐらい。
だから増えて当たり前なのだが。
むしろ、現在の身長体重でも、標準体重以下。
BMIは標準。
数値でみると、とても健康的なのだ。
いや、実際、健康な身体なのだ。
標準体重やBMIが適切なのに、その数字にたいしては信用がなく、自分の決めた目標体重だけに絶大な信頼をおいている。
これが私のベスト体重だ、と。
それを超えていると、許せない気持ちでいっぱいになるのだ。
間違ったボディイメージと体重への囚われの根本原因とは
痩せ願望からの、おそらく摂食障害。
そして今も続く体重への囚われ。
痩せていなければならない理由は一体何なのだろうか。
そう自問自答したり、調べたり、相談したりして分かってきた原因がいくつかある。
最後にそれをまとめてみよう。
過去の記憶からの囚われ
冒頭の中学生時代の話からわかるように、過去の出来事がきっかけで「痩せたらちやほやされる!」と勘違いしたことが囚われのはじまりである。
ところが、それだけなら思春期を過ぎれば、痩せてるだけがモテる理由じゃないってことも分かってくるはずである。
しかし筆者の場合、大人になってもこの感覚は消えなかった。
そこに潜んでいるのは次のような原因があった。
自分を好きになれない
根本的に、自分自身のことが好きではないために、自分がマイナスのイメージを持っている容姿に傾くとますます自分のことが認められなくなる。
太っていたって、キラキラしている人はたくさんいるし、要は捉え方だと分かっていても、自分自身のこととなると、話が違ってくる。
太った自分はダメだ。ブスだ。
そう思い込んでいる。
つまり痩せたら○(まる)で、かわいいまではいかなくても、容姿もましだと思い込んでいるのである。
なぜこんなに自分を認められないのか?
その根本を探ることで、自分を認められるきっかけが掴めるかもしれない。
寂しさを埋めるため
痩せることで自分に自信が持てるため、周りからも見捨てられることはないと思い込んでいた。
だから、痩せてたら孤独になることもないと勘違いしていたのだ。
とんでもない考え方だと思うけど、昔は真剣に思ってた。
そして、てきとーな異性と常につるんでいるような日々だった。
しかしそれは、寂しさの根本を埋めてくれるものではなかった。
その場しのぎの人肌の温もりだけを得ていただけだった。
今思う寂しさの根元は、前述したように、自分が自分を愛せていないことにあると思う。
自分自身を愛していないのに、他人からの愛で心の隙間を埋められるわけがない。
それに、下心のある異性に埋めてもらおうとしていた私を、男の人たちは愛どころか、都合の良い女としてしか扱っていなかった。
原因から導きだした解決策とは
痩せてるから○
太ってたら✕
こんな判断基準は、でたらめだといことは
今は分かる。
それでもいちいち体重に振り回されてしまう筆者は、もっと自分を愛してあげる必要があるんだろう。
どんな自分も、それでいい。
そう思えるようになったとき、自然で適度な身体になれるのかも、と思う。
その状態が、もっとも健康的な姿なのだ。
のちの機会に詳しく、自分を愛することについて書きたいと思う。
今日はここまで。
少しでも参考になれば幸いです☺️
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